【慰安婦賠償と同額】東日本大震災6年 震災直後10億円寄付した台湾人・エバーグリーングループ総裁 張栄発氏 日本名:長島發男(ながしまはつお)を忘れてはいけない~ネットの反応「この人の名は永久に覚えておかなければならない」

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スレッドURL: http://hayabusa8.2ch.net/test/read.cgi/news/1489208796/

東日本大震災後の被災地の映像を目にし、涙した台湾人がいた。エバーグリーングループ総裁の張栄発氏(享年八八)。
日本統治下の台湾に生まれ、一代で世界有数の海運会社を育てた実業家だ。縁深い仙台が被災し、直後に個人名義で10億円を寄付したことでも知られる。
張氏は生涯、日本に思いを寄せ続けたが、昨年死去した際はメディアに大きく取り上げられることもなく、いま改めて偉功をしのぶ声が上がっている。

(外信部 塩原永久)

日本統治期の1927年、台湾北東部に生まれた張氏は、少年時代から海運会社で働く一方、夜間学校に通い苦学して航海士となり、船員生活を送った。
会社を設立後、日本で購入した中古貨物船で海運業に乗り出したのは、30代前半のことだった。

68年、グループ前身の長栄(エバーグリーン)海運を立ち上げ、80年代に国際コンテナ船業務を柱に事業を急拡大。史上初の世界一周航路で名をはせた。
89年にはエバー航空を設立して航空事業に参入し、ホテルや金融を抱える巨大グループに成長させた。

6年前の震災発生時は、経営の前線から身を引きつつあった時期に重なる。震災は張氏の目にどう映ったのか。巨大な津波が仙台市の海岸部や、
東北の市街地を飲み込んでいくニュースは、台湾でも大々的に報じられていた。3月11日、エバー航空がすでに定期便を飛ばしていた仙台空港に大津波が押し寄せたのは、
地震発生から約1時間後の午後4時前後だった。

時差で日本より一時間遅い台北にある総裁室で、張氏は、テレビで流れるニュース映像をみて涙を流していたという。

地震後すぐ、張氏はポケットマネーから、被災地への巨額の寄付を決め、日本赤十字社を通じて送った。また、
海運や航空のグループ傘下企業に対し、毛布などの支援物資を運搬するよう指示。エバー航空の機材を使用して、各国政府や国際援助組織の物資まで、無償で日本に運んだ。

後日、深刻な被害が判明するにつれ「眠れないほど胸を痛めた」と述懐した張氏。被災地に惜しみない支援を即決したのは、とりわけ仙台の地が、張氏の心情に訴える場所だったからかも知れない。

事業拡大にいそしんでいた張氏が、日本各地の港湾に苦心しながら進出しようとした際、まず神戸港(兵庫県)が、
そして仙台港(宮城県)が門戸を開いてくれたのだという。台湾の新興企業にとって参入は簡単ではなかったのだろう。
生前に張氏と親交を深めた全日本空輸の元台北支店長、池本好伸氏(69)は「あのとき仙台が温かく迎えてくれたことに、張氏は恩義を感じていたようだ」と話す。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170311-00000517-san-cn

長栄海運(ちょうえいかいうん、エバーグリーン・マリン、繁体字:長榮海運、英語: Evergreen Marine Corporation)は中華民国のコンテナ運送会社・海運会社。

創業者張栄発(中国語版、英語版)、日本名:長島發男(ながしまはつお、あだ名は生涯を通じて「發」を日本語読みした「Hatsu」)は、1927年に船員の三男として澎湖諸島(当時の日本領台湾の澎湖庁)で生まれ、南日本汽船株式会社で働きながら、夜間の台北商業実践学校を卒業後18歳で台北本社の船舶部に転勤し貨物船の事務員として働く[3]。日本の敗戦で国民政府が日本船を接収したが、日本語しかできなかったため就職できず、独学で航海士の免許を取り、地元船会社で三等航海士として働き、後には一等航海士となり船長にまでなった。

wiki
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E6%A0%84%E6%B5%B7%E9%81%8B


ネットの反応

とにかく台湾人には足向けて寝れないよ

名前を張立派さんに改名してくれさい

韓国の寄付金総額って幾らだっけ?

>>↑
犬2匹

ユニクロの社長も結構寄付して神扱いされたんだけど
今じゃ見る影もない

張栄見だったら面白かったのに

ありがとうございました

日台同盟組みたいわ。

この人の名は永久に覚えておかなければならない

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