「海賊とよばれた男」 出光佐三(いでみつさぞう)が、母校(現 神戸大学)のGHQ接収危機救う電報発見

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「海賊とよばれた男」 出光佐三(いでみつさぞう)が、母校(現 神戸大学)のGHQ接収危機救う電報発見

劇場公開中の映画「海賊とよばれた男」の主人公のモデルで、出光興産創業者の出光佐三(いでみつさぞう)(1885~1981年)が戦後、母校の神戸大学(旧官立神戸高等商業学校)の窮地を救うべく、当時の学長に送った電報の現物がこのほど、同大で見つかった。義理堅く、人や教育を重んじた出光の人物像が浮かび上がる。(長嶺麻子)

現在の同大六甲台第1キャンパス(神戸市灘区六甲台町)。神戸高商の系譜を引く神戸経済大学だった学舎は空襲を免れたものの、連合国軍の神戸進駐に際し、接収対象となった。

 敗戦で出光興産がほぼ全ての事業と海外資産を失う中、母校の危機を知った出光は独自の人脈を駆使し、東京の連合国軍総司令部(GHQ)に掛け合ったとみられる。1946(昭和21)年5月25日には、当時の花戸龍蔵学長に〈種々手を尽くしつつあり 至急上京せられたし 出光〉と電報を打つ。

 出光の計らいは大学の議事録などに残されていたが、映画公開にあたり昨年、神戸大が関連資料を再調査。73年に大学関係者から寄贈された接収対策資料の中から、電報の現物が見つかった。

 接収は46年7月から52年4月まで続いたが、講堂とテニスコート、プールのみにとどまった。2009年に出光佐三記念六甲台講堂と改称された建物は、進駐軍が映画館やダンスホールなどとして利用した。電報を見つけた小代(こしろ)薫研究支援推進員(39)は「出光さんが身をもって学校を守ってくれたとも言えそうです」と話す。

 出光はその後も、学舎統合の際、用地を代理で購入するなど母校を支えた。同大付属図書館大学文書史料室の野邑(のむら)理栄子室長補佐(44)は「人間尊重を経営理念に掲げ、大企業を築き上げた。本人の気質もあるが、神戸高商で培った経験は大きいはず」とみる。

 出光は福岡市立商業高校卒業後の1905(明治38)年、神戸高商に3期生として入学した。開学間もない神戸高商では、海外事情に詳しい水島銕也(てつや)初代校長に道徳を重んじた商人の道を説かれた。日露戦争後の金もうけ至上主義に反発し、同級生と「黄金の奴隷となるな」などと主張しあったという。

 出光が神戸高商に進んだのは、実業学校出身者に対し、日本で初めて門戸を開いた上級学校だったため。出光は後に「就職が当たり前だった我々に(最高学府への)道を開いてくれた。特に発案された水島校長は大恩人」と述懐している。

 野邑室長補佐は「生涯、母校に愛情を注いだが、自身の功績をひけらかさなかった人。学生や地域に、彼の哲学や学校のルーツをもっと知ってほしい」と話している。

 【出光佐三】福岡県宗像市の藍問屋に生まれる。神戸高等商業学校を卒業後、神戸市内の個人商店ででっち奉公に励み、25歳で北九州市に石油販売業の出光商会(現在の出光興産)を創業した。経営理念に「人間尊重」「大家族主義」「独立自治」「黄金の奴隷たる勿(なか)れ」「生産者より消費者へ」を掲げ、神戸高商での経験が色濃く反映された。

https://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201702/sp/0009892501.shtml

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